「「あの日」からぼくが考えている「正しさ」について」 高橋源一郎

震災から時が経った。福島に暮らしながら、あの日の災いの後のいまだ変わらない出口の見えなさについて、語るべき何かをきちんと見つけることができないまま、鈍い痛みと共に今も在る。

言葉を失ってしまった…、ということはたやすい。しかしそれはもう諦念でしかない。

ならば探しつづけなくては…。心の支えになる詩や言葉を書いて下さい…、と福島の方々に言われてきた。私自身もそれを懸命に書きたいと願っているところがある。しかし始まりが見つからない、探し当てられない。

高橋はこのように本書で語る。「頭の中が「真っ白」になって、何も考えられない時のことを、大切にするべきではないだろうか。そもそも、「すぐに言葉が出る」というのは異常な状態ではないだろうか」。

本書は「小説トリッパー」で高橋が連載をしていた「ぼくらの文章教室」から特別に編んだものである。文章を書きたいという人のために向けられたもので震災後の高橋の思想を追ったものが、三部構成でまとめられている。

「二〇一一年三月十一日がやって来た。ぼくの内側でも外側でも「ことば」や「文章」の様相が変わったように思えた」と冒頭にある。震災を境にこの作家のセンサーのようなものの大いなる変化がまず語られている。

言葉や文章を上手に見つけようとしない、書こうとしないことが肝要だと言う。Ⅰ部「非常時のことば」では立派な、瀟洒なたたずまいを目指すのではなく、「掘っ建て小屋みたいな文章」で良いと述べる。「混乱しているんだったら、なにも書かなければいいんじゃないか、とあなたたちは思うかもしれない。ぼくの考えは少し違う。混乱していればいるほど、文章を書く余裕なんかなければないほど、文章を書くべきなのである」。

高橋は〈教室〉にて、生徒たちを前にした新任の教師のように大いに迷いながら、格好など全く気にしない語り口でこの日本の現在の「非常時」の意味を語り続けている。高橋が詳しく挙げて説いていく加藤典洋や石牟礼道子やジャンジュネや川上弘美、太宰治らの引用された文章の部分に、〈センサー〉がとらえた兆しや宿りを見ることができる。

はっきりとした意味よりも震災の意味の影や言葉の魂のようなものを探しているのが分かる。例えば加藤のある文章を引いている。「日本はこれまで欧米の西洋諸国に『追いつけ追い越せ』でやってきたが、『追いつけ追い越せ』『キャッチアップからフロントランナーへ』ではダメだ。『追いついたら、追い越さない』、追いついたら走るのをやめ、共に並んで歩む。それがよいと思っている」。

高橋は加藤のこの文章を上手いものではない、と述べている。もともと名文家である加藤がどうしてこのような素人っぽい文を書いたのか。しかし震災後に「うまく書くことはやめよう」…、とにかく書かなくてはいけないという姿勢で書いたこれらの文が自分の心にしみてくると語っている。

美しい文章は、その美しさだけに目がうばわれてしまいがちであり、そのことと震災後の心の表情を伝えることとはどこか違いが生ずることなのかもしれない。いまだに解決の糸口が見えないまま、気の遠くなるほどに続いていく様々な問題を、これまでの既成のやり方で語っていくことができるはずがないと私も自分なりに詩や文章を書き続けてきた。

例えば「悲しい」という一言があったとして、それがあらゆるグラデーションと鈍痛を伴って、心にありつづけているかのような現在の精神の現実がある。「悲しい」の一言で言い表せない感情を、やはり「悲しい」としか表せず、それをそのままにして満足するしかないのが、私たちの文化なのかもしれない。

そして心の言い表せなさを捨ててしまおうとする。そして今ある既存の言葉で、言い表しにくさを縛りつけようとする。時折に「復興」や「がんばれ」という言葉が、どこかそらぞらしく聞こえてしまうのは、感情のぶつけようのなさをどこかに置き去りにされたままで、それらの一言に縛られてしまいそうになるからである。そうして言葉を発するほうも、それを受けとるほうも、どちらにも悪意は存在しないのに、ジレンマだけが残されていくのだ。

詩や政治家の演説も引用されている第Ⅲ部「2011年の文章」を何回も読み直した。前部と比べて、不思議な感触の授業が収められている。私は「二〇一一年に「自分の子どもではない赤ん坊」を育てる小説を読むこと」という断章の表題や、「「ことばが通じない」人たちの、いちばん奥に、もしくは、真ん中に「死者」がいる。」という一文に立ち止まった。

津波の後の街に残された人々は、いまだに拭えない死の悲しみと向き合い続けている。あるいは避難生活に絶えられなくて自殺してしまったという悲報を耳にする。直接に被災された方に対して、そうでなくとも同じように心を痛めることを間接被災と呼ぶとうかがったことがあるが、いずれ共にこれからも私たちは「死者」の存在と向き合っていくしかないのだ。しかしそれ以外の「ことばが通じない人たち」についても、やはり同様に「真ん中に死者がいる」と高橋は述べたいのだと感じた。

「「私」は「私」を肯定するために、「私」以外の誰かを必要としていたのである。「私」以外の誰か、それは、ことばを持たない、「小さな」誰かのことだ。こちらから手を伸ばさなければ、助けなければなにもできない、か弱い、なにものか、のことだ」」。

このことが「赤ん坊を育てる」ことにつながるのであるのだろうか。失われて、また、生まれ来る<魂>の呼吸を、新しく探すことなのだろうか。生から死への視線ではなく、死から生へ。書きながら迷いながら、それでも文章に映る言葉の〈魂〉の息吹に耳を澄ますようにして一つでも前に進むために書いていかなくてはいけないのだろうか。

ここに「//おじいちゃん 見つけてくれてありがとう/さよならすることができました」と綴った避難所で暮らしていた菊田心くんの「ありがとう」という詩がある。私は幾人かの審査員と共に、河北新報の震災から一年が経って募集した詩のコンクールの審査の席上で出会った。当時は小学校五年生だった心君の言葉に、私は涙を禁じ得なかったが周りの大人たちもみなそうだった。やがてこの詩は広く伝えられていき、宮城県の津波で被災した人々の心を言い表す代表的な詩の一つとなった。今も大切にされている。

私は詩を書くことのものさしは〈涙〉であるとこの時に感じた。子どもたちから教わることがたくさんあるはずだと思うようになった。これからを生きる子どもたちと共に育っていくこと、育てていくもの。私なりに見つけたい言葉の芯がそこにあるような気がしている。

時代はなお混迷している。

先生と一緒に悩む生徒のまなざしの先に、この〈教室)の窓がある。