「読み解き 般若心経」 伊藤比呂美

私は般若心経を全て覚えていることが自慢だ。幼い頃、祖父が亡くなった時にずっと、仏壇の前で唱えていてそうなった。

いつも家にいた肉親が亡くなってしまうことをこの時に初めて経験したのである。あまりもの悲しみにどうしたら良いものか分からなくなってしまった。毎週に法要として自宅でお経を読んで下さる和尚さんの後ろに座り、その真似をしているうちに、お経を唱えることがとても大事な気がしてきた。それで毎日、やることにした。

それを和合家では「お勤め」と呼んだ。しだいに夜眠る前に時間が固定となり「夜のお勤め」と言われるようになった。このことを私は小学生から中学に入学するまで続けていた。お経を読まないと、何だか悪いことをしているような気持ちになり、自責の念にかられた。私とは何といじらしい少年であったことだろう(?)。

長い時には一時間も二時間もいろいろなものを読んだ。「お勤め」を終えると、仏壇が何だか明るく見えて心が軽くなるような気がしたものだった。経文には読み仮名が付されてあるが、それを自分なりの節回しで声にするのがやっとであり、小学生であるのだからもちろんのことだが(かといって今でもそれは出来ないけれど)、難しい漢字の意味はほとんどが分からなかった。

しかし分からないのだけれど、不思議なもので、声に何度も何十回も表しているうちに分かるのだ。いややはり「分からない」のだ。しかし読んでいるうちにイメージはこれだとはっきりと浮かぶようになる。分かってはいないのに分かっているってどういうことなのだろうか。しかしこれらの声と言葉と意味の体験が、その後の私に現代詩なる前衛を激しく求めさせることになったと思っている。

般若心経は必ず口にした。正座して仏壇の前でそれを声にしていると、祖父と対話しているような気になったものだった。そしてまわりに飾られている先祖の写真や位牌の戒名などを眺めていると、家の先祖の方々のぼんやりとした面影が見えてくるような気がした。

作家の立松和平さんに、生前に想像力の源泉は何ですかと問うたことがあった。立松さんはすぐに「自分の父や母、あるいは祖父、祖母、そして先祖の暮らしがどのようなものだったのかを想うこと」と返されたことがある。彼をそれは「血の水脈」と言い、その先に自分があるとするならば、それを辿ろうとする時に、私にとっての想像の泉が見つかると教えてくれた。「書きたいことはいくらでもある」と。

そうしてみると私は祖父に感謝をしなくてはならない。今の私があるのは、死後に心にずっと残ってきた祖父の存在の大きさだったと思えるからだ。毎日、読み続けるのに辛い時もあったのだけれど、幼い自分なりの「行」だったのかもしれないし、今の私を作ってくれた言葉の時間だったのだ。眠る前にはいつも時間と宇宙の広がりを想った。

ある時から祖母も「夜のお勤め」に加わってくれるようになった。大きな声で二人で息を合わせた。和合家の夜はいつも不思議なつつましさと賑やかさ(?)があったと言えるだろう。

さて、大人になり、般若心経にまつわる本を開くようになった。ずっと読み続けてきたという自信からなのだろうか。不思議なのだが、正しい解説に触れたとしても、なるほどと納得することもあれば、いや解釈は違うのではないかと思っている自分に気づくようになった。これは神、いや仏様をも恐れぬ私の心である。そして思いはそれぞれ自分なりで良いのだ、などと勝手に納得して、むしろ同じものと違うものの差異をこそ読もうとしている自分の眼差しを感じるのだ。そしてそれが面白いのだ。

かつて水上勉の「般若心経を読む」がとても面白くて、にやにやしながら夢中でめくったことがあった。もっと他にも読みたいとずっと思ってきた。伊藤比呂美の「読み解き 般若心経」に出会った。

この本は「般若心経」ももちろんであるが、その他にも「観音経」「法句経」「地蔵和讃」「四奉講」など様々なお経をめぐり、エッセイと伊藤の現代語訳で一つずつサンドイッチしながら、それぞれの読み解きがなされていく。目で追ううちに、現代人の生と死の表情と深く向き合う、詩人の真顔が見えてくる。

ユニークな訳に触れていると、意味を理解せずに体で覚えていた画数の多い難解な言文の群れが、ムクムクと形を持ちはじめてきた。般若心経の例えば終わりの部分。「知っておきなさい 向こう岸に わたれる このちえ。/これは つよい まじないである。/これは つよくて あきらかに きく まじないである」。なるほど。私は「まじない」の持っている強さに惹かれてきたのかもしれない。祖父を失った悲しみの中でふと出会い、違う心の方角へと変えてくれた力に、幼い私は憧れたのだろう。

暮らしの時間を綴った文章と色々なお経とが、じっと見つめ合っている印象が全体にある。家族や友人など近しい人々の生き死にが描かれていく。「老いる」という問題を大きく前に置きながら特に「愛別離苦」の苦しみを得意の饒舌調で、あるいはとても淡淡と、語っていく。伊藤比呂美節といおうか、少しも重たさを感じさせない軽快な書きぶりなのだが、筆の面白みの先に人の生き様のまるごとが、とても切なく見えてくる。終わりゆく命の哀切さを写す鏡のように、経文と訳とが並ぶ。

「諸行無常/是生滅法…」。「常なるものは何もありません/生きて滅びるさだめであります/生きぬいて、滅びはて/生きるも滅ぶもないところに/わたくしはおちつきます」。おお、これは「無常偈」のお経だ。これもまた、意味も分からず大きく声に出して読んでいたものだ。「生きるも滅ぶもないところ」。そうなのだ。そういうところが、あるような気がずっとしていた。

母が世を去った後、父を世話するために家まで毎日歩いていく道すがらの河原にて「生きて死んだ。/芽生えて枯れた。/咲いてしぼんだ。/咲いてしぼんで、生きて死んで、枯れて芽が出た」と呟く場面がある。真っ直ぐに生滅の間を見つめる伊藤のまなざしは静かに潔く澄んでいる。河原の草花と人の生そのものが悲しく、なお強く見えた。

死と詩を感じた。

伊藤と同じように、大人として深まりつつある現在の気持ちと体で、心の経文のたどり直しをしてみたいと思った。