「横道世之介」 吉田修一

 気がつけば四十歳を越えてしまったのだ。驚きである。大学生時代を恋しく思っている時がある。今の社会の気ぜわしさや貧しさと対面して、息もつけないような毎日を送っていると、知らずに心が時の思い出に逃げていることがある。

 八〇年代の終わりごろに青春を過ごした私たち大学生が持っていた空気感は、その後のいわゆるバブル崩壊後から現在までの社会全体を覆う重たさとは、全く好対照の軽々しさが確かにあった。どこか夢のようであった。この「横道世之介」を読むと、いつもその頃が懐かしくなり、何度読んでも止められなくなる。 

 横道世之介とは、そんな思い出のキャンパスに必ず居る人物である。のんきで楽天的で、周りの流れになんとなく合わせて生きている。得体の知れないサークルに乗せられて加入してしまったり、アルバイトに行ったり行かなかったり、友だちに嫌がられても部屋に泊まり続けたり…している大学生。将来の目標も特にないし、ポリシーなど考えたこともない。しかしちょっとしたことであるほど、懸命になる人間。居た居た、こういう男。

 いや私自身もまた、そして世之介であった。豊かな時代の終わりにだらだらと過ごした大学生活が蘇ってくる。しかしある時は自分が賭けられることを必死で探したり、またある時は見つけるのを怖がったり…、一人の青年へと進もうとしていた季節だった。

 読み進めていると舞台である東京の街が生き生きと輝いて見えてくる。そうだった。ときには全てがこんなふうに眼に映っていたものだった。大人と少年の狭間で背伸びをしたり、気が強くなったり、悲しくなったりしていた。

 長崎から上京して大学生になった世之介の日常。倉持や阿久津、加藤といった彼の友人や先輩たち、憧れの片瀬千春という女性や与謝野祥子という恋人とをめぐってのエピソードが淡々とユニークに綴られている。一見して大きな何かが起こるというわけではない。失恋や友の退学など…、しかし本人にとっては大事件であり、それらの出来事の一つ一つに生き生きとしたリアリティが宿っている。作家の筆力の賜であるだろう。

 ゆるやかな時の川が長編小説に脈々としているのが分かる。静かにこちらに、登場人物たちの来し方行く末を望見させてくれる。そもそもこれは新聞小説であったのだが、これはまた、やはり八〇年代の青春を過ごした作者の(吉田は私と同い年にあたる…)、一つの懐古の日禄でもあったのかもしれない。これまで「悪人」「さよなら渓谷」などの犯罪を題材にした小説で読者を唸らせてきた作家である。これらの反動というわけではあるまいが、書くことの愉楽の別の新鮮さのようなものが感じられる。大衆小説から純文学まで幅広く書き上げている実力派だからこそ、このような何でもない日々の楽しさを新鮮に描き出せるのだろう。

 しかし合間で、遠い過去を流れている〈川〉の眺めから、現在の此岸へと視点が時々に変わる。ここがこの小説の運びの雄大さを描いている場面である。四十代を生きているそれぞれの岸辺の現在に一瞬にしてなるのだ。スイッチが切り替わるかのように、倉持や阿久津、加藤、片瀬や祥子の今の人生が語られている。例えばある人は国連職員としてアフリカで働き、ある者は中学生の娘と真剣に葛藤し、あの憧れの女性は画商となり都会でしたたかに生きている。必死になるほど今の生活に追われていたり、ようやく道を見つけて挑戦し続けていたり…。冒頭の私の呟きと同じように「気がつけば四十歳を越えてしまったのだ。驚きである」などという思いを時折にどこかで浮かべながら…。人生の後半の始まりを、それぞれが汗をかいて生きているのが分かる。そしてまたチャンネルはキャンパスライフへと戻る。

 これらを読むと、音信が途絶えてしまった学生時代の幾人かの友を想う気持ちが湧き出してくる。そして今もなお、世之介を彼らが親しく想いだしている場面がある。ある友は学生時代は全く思わなかったことをふと心に浮かべて、こんなふうに確信している。「世之介と出会った人生と出会わなかった人生で何が変わるだろうかと、ふと思う。たぶん何も変わりはない。ただ青春時代に世之介と出会わなかった人がこの世の中には大勢いるのかと思うと、なぜか自分がとても得をしたような気持ちになってくる」。

 私にも思い浮かぶこのような人物がいる。私は教育学部に在籍していたので、周りは先生の卵たちばかりだ。その中で彼は大いに文学や哲学を語る人間であり、そのような硬派なところもありながら、失恋して大泣きしたり、酔うと変な踊りを踊ったり、深夜の停車中の車に自分から自転車に乗ってぶつかってしまったり…。彼とは一晩中、いろんな話に明け暮れたものだった。

 友だちもとても多くて、大学時代を分け隔てなく誰とでも親しく過ごしていたのに…、そしてほとんどの仲間たちは福島に就職を決めたのに、彼は誰も知り合いのいない遠い街に行くと宣言した。そして言った通りにさっと行ってしまったのだ。それからは小さな島で教師をしているというハガキが届いただけで私のみならず、誰とも連絡は途絶えてしまった。何をしているのか、分からなくなってしまった。 

 新しい大学生活で一番初めに世之介と親しい友人となった倉持と阿久津の二人のように、私と妻は同じ大学生活を過ごしていたので、共通の先輩や友人がとても多い。とりわけ彼の話は、茶の間でよく登場した。いくつかのエピソードをどちらが話して、二人でくすりとしてしまう。そして「今頃、どうしてるのかなあ」とどちらかが呟くのだ。

 ある時にその町の全国ニュースに登場していた、彼の姿があった。発見した私は大興奮したのだが、仲間たちもみなそうであった。何人かがその街へと連絡をとり始めて、やがて通じ合った。やがてその翌年の元旦に彼から私たちに久しぶりの年賀状が来た。結婚もして、笑顔がとても可愛らしい幼い娘さんとスーパーの遊戯コーナーででれでれと遊んでいるスナップ写真がそこにあった。みんなの心配をよそに、しっかりと人生を歩んでいるんだと思うと目頭が熱くなった。負けちゃいられないなあ!

 「いろんな人に思い出してもらえる人生って、いいなあと思います」と吉田はあるインタビューでこの作品について語っていた。うん。そうであるといいなあと私も今のこの年齢で思う。

 そして。

 この本の〈川〉が、最後には突然に消えてしまうのだ。結末に驚く。本を閉じて切なくなる。友の若々しい笑顔がいつまでも残る。あたかも〈青春〉そのもののようである。  

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2017.11.10更新