「山月記」 中島敦

二十歳を過ぎて、詩を書きたいという思いを抑えることのできない日々がやって来た。どこか心の中でずっと、何か没頭することが出来るものを探していたのだが、それが詩作だったということが自分の中ではっきりと分かった時、その熱中ぶりは日に日に激しくなっていった。

作品を書き上げると今度は、誰かに読んで欲しいと思う。そう思ったところで、詩を発表する場所などはもともと数少ない。ましてや詩を書き始めの人間にそのようなところがあるわけでもない。しかし詩への熱はますます高まるばかりで、どこか冷静さを失っている日々を送っていた。

しだいにであるが夜などはよく眠れなくなったりして目つきは悪くなっていった。友人などにもそのような話しばかりするものだから、だんだんとけむたがられたりするようになった。何かにぶつけたいエネルギーは充満してくるばかりだった。

大学を卒業して教師になってからも、帰宅後の時間のほとんどは詩作に充てていた。夜眠っていても詩のフレーズが浮かぶと、机に座り書き出してから眠った。しかし出来上がった作品をどうしようというのでもない。だが、頭の中では詩の続きがまた始まり出すのだった。何だか情けなくなって、夜中に布団の中でしくしくと泣いている自分に気づいたこともあった。そのような生活を十年も続けて、私ははっと気がついた。

私は、詩に取り憑かれている。

だから詩集を最後に一冊出して青春のまとめとすることにしよう。そのように決意した。三〇歳を目前として、私は十年分の大量の詩作品を読み直して、詩集の制作に励むことにした。そして後はスッパリと詩作を辞めて、三〇代の人生の本分を見つけることにしよう。区切りをつけなくては私の人生はひどく無為なままの気がしたのだ。私には、妻とやがて生まれてくる子どもがいる。どこかで何かを潔くあきらめなければいけない。

丁度その頃に、 中島敦の短編「山月記」に出会った。

李徴というとても優秀な青年が、やはり詩作に没頭するあまり、官職を捨てて詩人を志すが上手くいかず、妻と子のために再度、役人の仕事に復帰するも、詩作への思いを捨てることは出来ずに、最後は発狂して失踪してしまうのである。

これは言わば中島敦の変身譚である。李徴は、やがて凶暴な虎へと身をやつすことになるのである。学生時代からプライドが高く、友人もほとんどいなかった李徴であったが、おだやかな性格の袁傪とだけはとても親しくしていた。もはや時が経って、高い位の役人となって山道をたくさんの家来と行き過ぎようとする時に、虎となった李徴と再会を果たす。そこから物語は展開していく。異類となってしまった身の上を叢の中に隠しながら、李徴と袁傪の久しぶりの会話は続いていく。

李徴は自分がいかに間違っていたのかを自省し続けている。「己は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交って切磋琢磨に努めたりすることをしなかった」とまず語っている。

「己の珠に非ざることを惧れるが故に、敢て刻苦して磨こうともせず」と。「珠」というのは詩才をさすのであるが、それがないことを知るのを恐ろしく思い、努力をしようとしなかった自分を振り返る。続けてこう述べる。「また己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々として瓦に伍することも出来なかった」と。今度は反対に才能への自惚れの強さから、「瓦」とは普通の能力の人々をさすのであり、「伍する」とは「肩を並べる」ことを言うのだが、友との交わりを避けて出会いと研鑽の場所を自ら求めなかったことを話している。

これを李徴は「尊大な羞恥心」と呼んでいる。もしくは「臆病な自尊心」と。「己は次第に世と離れ、人と遠ざかり、憤悶と慙恚とによってますます己の内なる臆病な自尊心を飼いふとらせる結果になった」と。これが猛獣へとやがて変身していく理由となっていく。

私はこの辺りで、とても胸が苦しくなる。

正に私自身も、虎を飼ってきたようなものだ。

誰かに自分の書いたものを読んでもらいたい、通じ合いたい…。詩を書く場所をもっと求めたい、詩友と交わりたい…、しかし探しようがない。

特に二十代のほとんどは海辺の街の教師として暮らしてきた。詩を語る友人などはほとんど居らず、孤独な気持ちはいっそう募っていったものだった。しかし情熱だけは消すことが出来ない。いつも詩を書き続けてきたのだ。

袁傪に、せめて頭の中に残っている自作の詩を記録して伝えて欲しいと頼む。「産を破り心を狂わせてまで自分が生涯それに執着した所のものを、一部なりとも後代に伝えないでは、死んでも死に切れないのだ」。

ここを読み耽りながら、泣きそうな気持ちになる。「産を破り心を狂わせてまで」=財産も何もかもを失い、自らの心を狂わせてまで…。私だっていつ、こうなってしまうのか、自分で自分が恐ろしくなることがあるのだ。詩の魔力とはこのようにも麻薬的なものなのだろうか。

しかしこの一節に教えられる。「一部なりとも後代に伝えないでは、死んでも死に切れない」。そうなのだ。詩人の藁にもすがるまでの望みとは、生きてきた証として爪跡のように作品を残し、伝えていくことなのだ。

初めて参加した文学の講座で、初めて書いた私の詩について「詩になっている」と言って下さった作家が居た。このことが私を詩作へと駆り立てる最初のきっかけとなった。彼は「詩を書き続けなさい」と「書いて書いて自分を作っていくのだ」と励ましてくれた。井上光晴という作家である。彼は文学の意味について受講生に問われて、はっきりとこう述べた。「歴史に残ることだ」。「それが芸術の意味だ」とも。

後代へと私は何を残せるのか。

私の中の虎はまた猛り狂いだした。死んでも死にきれない、と吠えだした。それからもずっと私は、内なる虎の雄叫びをむしろ糧にしながら、詩を書き続けている。「尊大な羞恥心」と「臆病な自尊心」を、やぶにらむ虎でも龍でも良い。それを持ちたいと願う。