「グッドバイ・ママ」 柳美里

柳美里さんと初めてお話をしたのは、福島で対談をする機会をいただいた時であった。 柳さんは震災以降、私のツイッターにいつも敏感に反応を返して下さっていた。

だからお会いした時に、これが最初だという感じがしなかったのは、あの日からツィッターを介して同じ時を過ごさせていただいていたという、半ば勝手な思い込みによるものがある。上手にお話をリードして下さり、よく相手の話に耳を澄ます方だという印象を抱いた。

柳さんと私とは同年齢だ。いわゆる八十年代のバブル期の社会に青春を過ごした世代である。やがてうわべだけの豊かさは崩壊した。破綻、破産。

私たちの暮らしの隣には脆さだけがあったことを知った。

初期代表作「家族ゲーム」にて柳さんが象徴してみせた根源的な家族や社会への不安感は、つきまとう影のように私たち日本人の精神にずっとこびりついるままだ。仮面を剥がされてばらばらになっていく日本の家や人間の時間を、柳さんは描き続けてきた。

震災は福島で暮らす私たちに、常に家族としての選択を迫ってきた。

放射能汚染という人類最大の過ちの中で、悲しく〈ばらばら〉にならざるを得ない親と子が、今の福島にはとても多い。

活躍してきた作家であり為政者でもある人物は、震災の悲劇がもたらされたことを「罰だ」と私たちに簡単に言ってのけた。国家という家において、何かが断ち切られた最初の瞬間だったと思う。

〈何か〉とは何か。

柳さんは今、積極的に南相馬市に入り、地域の方々と触れ合う活動をし続けている。その誠実な姿にふと、ほどかれた〈何か〉を結ぼうとしている情熱を感じている。

「グッドバイ・ママ」を読み返した。

ほどかれたままでいくあてのなさを抱えている一人の人物が、救いなく破滅していく。可愛らしい息子さんを育てる一人の主婦の人生がそこにはあるが、特別な誰かではない…、どこにでもいる人間の奈落が描かれている。

この物語において母親が抱えている孤独感については終始、胸がつまりそうになる。夫から近所から、あるいは息子の幼稚園の母親たちなどから疎外され続けられる。

そもそも母親には悪意などほとんどないのだが、息子への愛情が偏るほどに、周囲に敵意と反感とを持たずにはいられなくなる。女に理解を示してくれる人は夫も含めて誰も居ない。精神の隘路へと女は次々に追い込まれていく。

交際のバランス感覚はすこぶる良くない。

心の中の窓は完全に締め切ったままで、窓越しに聞いているかのような、色々な他者同士の会話を。機械的に耳にしている場面が頻繁に登場する。冷たく渇き切って響く言葉の応酬の数々。これらは無意識に外側から母親を追い込み、固く心を閉じ込めてしまい、社会との遮断をもたらそうとしている。雑音として耳に飛び込んでくるこれらが書かれるほど、孤独がいや増しているのが分かる。

軽妙な他者のお喋りが、とても表層的で恐ろしく聞こえる。

息子が幼稚園で正座させられていることへの反発や、戦中に人体実験場があったところに埋められている朝鮮人の骨の事実への執着や、ゴミをめぐる近所の人々とのいざこざ、別居している夫との離婚など…。

絶え間なく女の頭をめぐるが答えは無い。あたかも終わらない山手線の列車の行く先のようだ。女は時折、自分に問う。「ゴト、ゴト、ゴト……この円環の中に閉じ込められたいの? おぉ! 二重の鎖をかけられて縛られた虜よ!」。

面白いのはこの女の心に「忍者ハットリ君」が現れるところである。

ハットリ君は時に正義の味方として、あるいは一番の理解者として、あるいは夫の代わりとして、ささっと登場し女に憑依してしまう。とぼけた口調で語り出す忍者。この語り口が、重たく鈍い気持ちの痛みや怒りを、少しも感じさせない様な軽快さを場面に与えていて、お見事でござる、ニンニン…。

戦い続ける母の強さもどこか感じられるが、調子が上向きになればなるほど、根本に抱えている寂しさがなぜだか浮き彫りになっていくようで、泣き笑いをした後の感じが残されていく。

逃げるように離れて暮らしている夫に向かってひとりごちる。「わたしは、あなたと違って、やりたいことなんてなに一つやっちゃいません、わたしの目の前にあるのはね、いい? やらなきゃいけないことだけなの」。

この後にセシウムやストロンチウムなどの放射能から、我が子をどう守ったらいいのかを心配してヒステリックに独り言を続ける姿があるが、ここに書かれた意味の闇の深さに苦しくなる。

これは多かれ少なかれ、原発が爆発してからたくさんの母親が人々が抱えている恐怖である。

この人物を通して、私は直感した。

私たちはみな「縛られた虜」なのであろうか。

柳さんと同じ鎌倉に住んでいた詩人田村隆一は、自分が書きたい詩のテーマとは恐怖とユーモアだといつも語っていたが、柳さんがデビュー当時から描いてきた世界にもいつもそれは満面しており、読み終えると今を生きる私たちの心のどこかがが叫んだり、笑ったりしているのが分かる気がする。

この女性は高校時代に、愛する父親と不意に死別した時に、〈何か〉がすでに切れてしまっていたのだと思う。〈何か〉とは何か。私はここにありきたりだが、心か言葉か、その両方をあてはめたいと思う。

たくさんの別離がもたらされた福島の海辺の町へ。

柳さんは、被災地に熱心に足を運んでいる。

※現在、柳美里さんは、南相馬市に鎌倉から居を移して暮らしていらっしゃいます。