「銀河鉄道の父」(講談社)/門井慶喜
年を重ねてきて宮沢賢治の詩や童話をあらためて深く追いかけるようになった。特に東日本大震災を経験して、これまでにない心の傷を感じるようになり、彼の作品に親しみを覚えていることに気づく。あらためて彼を発見したいと思う人は、私だけではあるまい。
父・政次郎。大きな商家を受け継いでいる、岩手県花巻の名士である。明治の終わりから昭和の時代にかけて商いと家を守る厳格な父。そして子を溺愛する人間味あふれる人物。色々な姿が丹念に小気味よく描かれている。家父長であり一人の親である、心の硬さと軟らかさ、葛藤と愛…。人生を模索する賢治という息子を前に、父性のありかを常に迷い探していく影が随所に見えてくる。ページをめくるうちに親しみが募る。
父としての鋭い視線が時に感じられる。例えば賢治が花巻農学校の教師となり、詩や童話などの書き方が変わった、と。職を得て社会や子どもたちに学んだ故であると察知する場面がある。私も教師をしながら詩や文章を書き続けているが、独特の教えの語り口を賢治の作品の魅力として感じてきた。政次郎は一瞬にして見抜いている。詩集「春と修羅」を一読した際にもこう直感する。「賢治の人生が、ぜんぶある」と。
賢治の妹のトシの死を経て結末へと物語は進んでいく。臨終の間際の床を囲んで皆が集まる。遺言を書きとろうとする父の姿。死の瞬間に賢治はその声を聞こうと身を捩る。悲嘆。直後に部屋に引きこもる彼。「永訣の朝」という詩はここで書かれた…。最愛の妹の喪失を受け止めて、賢治の作品は祈りの念をより深く宿していく。時折に木彫りの観音像の影が、ふと紙面に現れるかのように深く柔らかく、作者は一家の歳月の輪郭を筆先で彫り上げている。やがて最後の部分では賢治も父母に見守られて生涯を閉じる。
本の中に数多く登場する、賢治の弟の清六さんの録音の声をじかに耳にさせていただいたことがある。賢治がいつも読んで聞かせていた詩の朗読の調子を真似た声であった。静かな声だった。涙が止まらなかった。家族の姿を通してより深くその人物を知ることがあるのだと知った。豊かで切なくて優しい人々と賢治の表情に一冊は満ちている。
(初出 日本経済新聞 文化欄)