たった一つしかないもの
季節の花々が美しい。
私の暮らす福島市には、観光の名所として三つの山がある。「吾妻山」「信夫山」、そして「花見山」である。春になると秋山庄太郎さんが山一面の満開の桜の写真を撮り、新聞の一面に写真で紹介して下さっていた。
やがて「桃源郷」と呼ばれるようになった。桜のみならず、様々な花や木が並ぶ。全国からたくさんの観光客が足を運んでくれるようになった。市の人口の倍近くの人が、春の七色を眺めに訪れる。
たくさんの方が足を運んでくれるのはとても嬉しいことなのだが、山のにぎわいは大変なものだ。ピーク時には、渋谷や新宿駅の前と変わらないほどの(?)混雑ぶりとなる。だから地元の人々は朝早くに出かける。これから現れるであろう人の波を想いながら、うっすらとした朝もやの中で眺める桜は格別なもので、桃色に命が燃え上がっているのがよく分かる。そこに朝日がさしてくると、最高潮が見える気がした。
とたんに人の気配が増えてくる。ぜいたくなロマンスのひとときも終わる。しかし昨年は、ゆっくりと眺めることを許された。これまで撮ったこともろくにないのに、一眼レフを購入して、ゆったりと一つ一つを撮影する楽しさも味わった。まばらな人影。いわゆる風評被害というものである。花々も木々も季節のめぐりを表しているのに、春という面会時間なのにみな、それを避けてしまっているのだ。
これほどふるさとの植物を、景観を愛しいと想ったことはあっただろうか。はっきりと分かった。あまりの見物客の多さに辟易していたこともあったが、この山は私たちの誇りだったのだ。山深いところまで、鳥のさえずりが分かった。
私という一人が悲しい。
五月といえば、鯉のぼりも大好きである。
原発爆発後に一度避難をしてから、旅館業などを営んでいたこともあって、家族を残して川内村にすぐに戻られた知人の井出さんは、「ふるさとに居続けること、暮らし続けることが大事だ」とある時に語って下さった。
そして昨年は、一人きりで庭に鯉のぼりをあげたと言っていた。
それはまるで、決意の旗ですね。
まもなく初夏がめぐってくる。
私も友もふるさとも、たった一つしかない。
初出「NHKメンバーズクラブ会報」春号
* 今年の春以降、川内村へと帰村する方がしだいに増えてきていると、井出さんと先日にお話しをいたしました。