「日本詩歌思出草」(平凡社)/渡辺京二

 良い詩は読み捨てることはできない。人生において何度も読み返したくなる。例えば、まずは青春時代の真ん中に、次には人生を経験した後にという具合に。本書を開き、何度も味わうことのできる詩を見つけ出す楽しさついて、あれこれと思いをめぐらせた。

 古事記の歌謡から始まっている。古代から中世、近代、明治文語詩、口語に移り行く大正から昭和の詩、現代の詩などへと視線は飛び石を渡る。「一人の生きる者として詩、というより詩として表れる世界の一面にずっと心ひかれて来て、それなしには今日までいきのびることも出来なかった気がする」と後書きで語っているが、それなくばという思いが良く伝わってきた。ヤマトタケルから始まり、近松門左衛門、薄田泣菫、伊良子清白…、そして現代の伊藤比呂美など。文章を読み進めていくと、心の引き出しの中に、詩と向き合ってきた筆者の歳月が、愛着ある着物のようになって何十枚も折りたたまれている印象がある。取り出して広げてみれば、人生の季節の匂いがそれぞれにたちこめてくる。

 一篇の詩を掲げて丹念に読み味わい、その詩人の来歴にも詳しく触れている。詩を読み始めたいと思っている人の入門書ともなり得るだろう。詩への芽生えは「一廻り古い詩人」から始まったと語る。主にいわゆる現代詩ばかりを読んでいる私などにとっては、数多く登場する文語詩の風景が、その都度の語りの巧みさと共に新鮮に映ってくる。目覚めと親しさは、愛唱の歳月を込めて編まれたアンソロジーの魅力に棲むものだと直感した。

 土井晩翠の「おほいなる手のかげ」という詩について、例えばこんなふうにまとめの文章に入ってゆく。「時には私の頭でも撫でてくれ。高村光太郎の木彫りの掌のようであってくれれば嬉しいが」。直接に詩に話しかけているような語り口がある。ある所では、この作品に関してはただ低唱してみればよろしいと投げかけている。声に出してみて初めてその詩が分かる、と。目に映るものだけを信じる現代人への誘いが随所にある。友のように詩を隣に。

(初出 産経新聞 文化欄)

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2018.01.06更新