「ソロー日記 春」 H.G.Oブレーク編 山口晃訳 ヘンリーソロー

野山が遊び場だった。福島の子どもたちはいくらでも外で、空や風を味わっていて良かった。詩を書くことになる私にその感性が備えられたとしたのならば、それは福島に満ちている自然がもたらしたものである。友人や、あるいは一人ぼっちでも、野原や川や庭で時を過ごした。生きている動植物の生命感に触れる日々だった。そしてそれと同じぐらいに死の概念を学んだ。それはいつも残酷な静けさを持っているものであり、生の反対側で命の重みを教えてくれる宇宙の深遠の空気がいつもそこにあった。

福島は盆地である。いつも山に囲まれていた。高村光太郎の詩に「私は大地のそそり立つ力をこころに握りしめて/山に向つた/山はみじろぎもしない」「「無窮」の力をたたへろ/「無窮」の生命をたたへろ/私は山だ/私は空だ」などという好きなフレーズがいくつもある。求道者的な姿勢で詩や彫刻の道を極めていった彼は、自分自身の心をゆるがない山野の表情と対峙させようとする作品を数多く書いた。それと向かい合う力を自分の内側へと満たすことで、様々な思想を求めようとしたことが作品の中にうかがえるような気がする。

幼い私はそこまで考えていたのかどうかは定かではないのだが、自然のただなかで、間違いなくそのようなことを学びつづけた。腑に落ちるとか、腹を据えるという言葉があるけれども、自然の万感を探るようにして生きることを体の奥でとらえる無意識の本能のようなものが働いていたと思う。

「野山が遊び場だった」と書いた。原子力発電所の爆発以来、悲しいかな…、それは「だった」に変わってしまった。今、田園で泥んこになって遊んでいる子どもを見かけることは、草葉から急に現れて私たちを驚かせる華やかな雉子鳥のつがいを偶然に見つけ出すことと同じぐらいに難しいだろう。震災前までは当たり前にあったありふれた何かが、たった1日で汚されてしまったのだ。取り返しがつかなくなってしまった。

博物誌家でもあり、思想家でもあるヘンリーソローの、1837年から61年に彼が綴った日記を読んだ。H.G.Oブレーク編 山口晃訳 「ソロー日記 春」(彩流社)。この春編は2月24日~4月11日までの内容が収められているが、これから四季ごとに刊行される様子である。

「ソローの日記はいわゆる文学作品とはやや違うのではないか、と私は考えております。もっとふつうの、誤解を恐れずに言えば、人々に開かれた何かです」と翻訳者の山口氏は語っている。

ソローは毎日、二、三十キロの道のりをノートをいつもポケットに入れて持ち歩きながら、野外のその場で書き写したり、植物を観察したり、押し花用の道具を持って歩いたり、夜などは月明かりで帳面に書き写したそうである。

そうやって自然観察や思考を重ねながら博物学に生きたソローであるが、ここに書かれている膨大な日記の語り口は、山口が言うように人生への思索に満ちている。言わばフィールドワークを重ねながら、日常世界を見つめるかけひきのない自然観察眼が、そのまま私たちの心へと投げかけられているのだ。

ソローが書き綴った膨大な日記は彼の死後に、妹のソフィアが大切に保管していた。ソローと手紙のやりとりをさかんにするなど親交の深かったブレークは、たびだひソフィアのもとに通って、それらの日記を借りては読んでいた。ソフィアはやがて亡くなるが、その遺志により、兄の日記をブレークに遺贈する。これはその彼の編集企画によるものであるのだが、同じ日付で二十数年ものその日の記述が、きちんと並んでいるところがとても興味深い。

これはブレークが、死後の彼と対話をするように残された大変な分量の日記を読んでいくうちに、異なる年の同じ日を読もうとしている自分にある時に気がついたのであった。
「ある月のある日の日記をブレークは読みながら、別の年の同じ月同じ日に、ソローはどこを歩いていたのだろうか、何に瞳をこらし、何に耳を澄ましていたのだろうか、そうした思いに時間を忘れて日記をひたすら読んでいるブレークの姿が想像されます」(「訳者あとがき」より)。

例えば二月二七日の日記でも出だしは「凍っている地面の上を流れる水の、水平を探すその素早さに、昨日気づいた」(1854)、「新聞はイギリスとアメリカの戦争の見通しを伝えている」(1856)、「寒かった今朝、窓を開ける前に、コマツグミの弱く甲高い鳴き声を聞く」(1857)であった。めぐる年ごとに違う日常の表情を見せられる。

日々に積み上げられていく思索のまなざしが本をめくるごとにある。これはその二日前の二五日の記述の最初である。「朝と春に、どれだけ共感しているかで、自分の健康を測るといい。もし自分の中に自然の目覚めへの反応がまるっきりないのであれば、そしてもし早朝の散歩を思うとと眠気が吹っ飛ぶのでないのなら、また最初のルリコマンドがさえずるのを聞いたときわくわくしないのなら、人生の朝と春は過ぎ去ったのだ。あなたが自分の脈拍を感じてくれるといいのだが」(1859)。

( 実はこの稿を書いているのは二月二五日である。そして私は今朝、朝の四時に起きてここまでを記して、この引用文にじっと見とれていた。すると書斎の窓の内側で確かに鳥のさえずりを感じたのだ。ここしばらく雪深さにずっと耐えていたので、空を舞う小さな声はとても久しぶりで、何だか体の内側が熱くなってきた。そうだ鳥の声で、私はこれからの季節を目覚めるのだ!)

「春編」だからなおさらなのかもしれないが、ここにある「人生の朝と春」の感覚が、この一冊には満ちているように思えるのだ。雪の大地から少しずつそれが溶けていき様々な季節の顔がのぞきだす時に、ソローの感性はいつも爽やかな覚醒の時を迎えている。それは二〇数年分の日録であるのだけれど、いつも変わらない心の持ち様として言葉に写し取られている。それはここにあるように「自分の脈拍」をずっと感じている瞬間でもあるのだろうし、それはまた自分ならぬ「自然」の「脈拍」でもあるのではないだろうか。

めぐりくるそれぞれの年の、同じ日。彼が歩くのはいつもの日常の世界。五感を研ぎ澄ませて、周りの表情の微細な変化の兆しを探し続ける。それを記録し続けている姿に、自然と人間とそして時間の見つめ合いを知ることができる。そして何だか涙ぐましい思いに駆られるのだ。ああ私が幼いころに福島の空の下で、飽きることなく求めていたのはこのような無数にある地と風の目覚めの瞬間だったのだ、と。