「言葉がたち上がるとき」 柳田邦男

例えば「心を強くする読書」とは、どのようにあるべきなのか。

心のかげんが弱まっている気がするときが誰にでもあると思うのだが、そんな時に本を開くことで、ほんのわずかでも心が動き、前へ踏みだそうと思うことが出来る。
そのような本と出会った。

東日本大震災後、私のみならず涙もろくなってしまったと語る人はとても多い。

友人に教えてもらったことなのだけれど、それはそもそも人に備わっている防衛本能の現れであるらしい。

それでは何を〈防衛〉するというのだろうか。

私はとっさにこんなふうに思ったのだった。ああ、心が流れ落ちてしまわないように、涙が先に流れていくのだ、と。

私は震災前まで、何かを読んで泣いてしまったということは一度たりともなかった。

今は、いろんなものを読み耽りながら、響いてくるものがあるとすぐに目が潤んだりにじんだりしてしまう。

心をこぼしてしまわないように、私たちは本を読むのだ、とはっきりと分かる。

「言葉が立ち上がるとき」(柳田邦男)を読んだ。

柳田さんはある日、息子さんを失ってしまった。自ら命を絶ってしまった。それから柳田さんは父として自問自答の日々を送り続ける。息子さんは離人症という病を負い、それが回復へと向かっていったと思った矢先のことであった。

それから柳田さんは、常に自責の念にかられながらも少しずつ時間をかけて道を歩み始めていく。そのことがまず最初の章で述べられている。

どうしたのか。やがて季節がめぐり柿が赤々と熟していくかのように、心が変わっていくのを待ち続けた。柳田さんにとってはその間、ひたすらに本を開き続ける時であった。 様々な作品に、命を絶った息子さんの言葉を探している姿がある。

癒えることのない喪失感を、息子さんの声を古今東西の書物の中の言葉に探し出すという行為で、消えてしまったかけがのない命にあがなうようにしながら埋めようとしている。

このことが柳田さんの心をゆっくりと強くしていったのである。

そのような心の有り様を教えてくれる第一章である。

「言葉をめぐることは旅することである」と柳田さんは最初に言っている。「これは言葉のルポルタージュであり、書々周遊の旅であり、生と死をめぐる人生哲学の旅でもある」と本書の冒頭で語っている。本書が向かっている大きなテーマの一つは、東日本大震災が抱えている不条理の様々である。

読み進めていくうちに、震災後の社会の混乱において、誰もが方角に迷っているかのような現在に、それでも先の見えない暗い海へと帆をあげることの覚悟を、柳田さんは作家精神で感じていることが分かる。

「この国の危機的な状況の発生が、私の決意を後戻りできないものにした」。

例えばニーチェやホメロス、あるいは芭蕉や河合隼雄などが残した様々な箴言や言文、それらと比して様々な困難の諸相や医療現場の問題、時には震災後に登場した詩歌や物語や被災者のコメントなどに触れて、手の中のコンパスを深く回して海路を見つめてようとしている。

たとえどんなに秘められた未知の海域であったとしても、そこをめぐる心の針路を逃さないように息を凝らす。

震災への思考のジャイロスコープのようなものを、沈黙の裡に止めてはならないと教えられている気がした。

例えば風化への不安。

このまま、なかったことにされてしまうのではないだろうかという恐怖を数多くの被災者が現在、抱えている。

震災後の日本社会の違和感を心にしまい込んだまま表に出すことの出来ない悶々とした人々が大勢いる。

「放射能よりも恐ろしいのは心が壊れてしまうこと。このままこの場所を捨ててどこかへ行ってしまったら私の心は壊れてしまうだろう」と飯舘村の女性の手記が紹介されているが、まさに〈心が壊れてしまうこと〉に警鐘を鳴らすために、柳田さんは古今東西の言葉の海辺に立ち尽そうとしている。

私たちの心には言い表せないものが眠っている。

それは深層にある言葉に出来ないものであり、しかし私たちの存在を本質的にとらえようとしている形にならない何かなのだと思う。

このことは言い換えるのならば、形に出来ないこの災いへの違和感なのだと思う。

原子力が人類に牙を剥いた後で、いまだにどうしたらよいものか全く見当がついていない日本人への強い警鐘であり、ぶつけようがないから沈黙を選ぶしかなくなっているうちに、現代社会に飼いならされていってしまうことへの不安である。

それを言い表す言葉を、膨大な本の海の波間の一節一節から見つけ出そうとしている。

例えばこれは、柳田さんが心の支えにしている本の「夜と霧」の作者フランクルの講演録からの言葉である。「フランクルはどんな過酷な運命の元に置かれても、人は生きる意味を実現することができると言い、「私たちが「生きる意味があるか」と問うのは、はじめから誤っているのです。つまり、私たちは、生きる意味を問うてはならないのです。人生こそが問いを出し私たちに問いを提起しているからです」」。

問いの提起に向き合い続けること…。息子さんの声を探して、立ち直った時と同じ姿勢がここにはある。二十数年前に失ってしまった息子さんの影が心の中でいつも彼を諭しているからだと読み終えて感じた。

膨大な仕事へと向かう姿だが、それが私たちの心に強さを教えてくれる。万象の言葉を航海しようとする彼のまなざしに、導く灯の明かりがあることを信じたくなる。