「故郷/阿Q正伝」 魯迅

私が通っていた福島大学に、助言教官という制度がある(他の大学でもあると思う)。いわばクラス担任である。私のクラスは国語教師になりたい学生が十人居た。男女、それぞれ五人ずつだ。教官は村上直治先生だった。

もともと中学校の先生をなさっていたので、いわゆる書斎派の研究者というよりは教育現場でばりばりと指導してきたという、エネルギーに満ちた方であり、カバンや風呂敷に荷物を包んで、快活にキャンパスを歩く姿がとても印象的だった。

まず思い起こすのは、入学して初めてのクラス合宿であった。私たちは、蔵王に二泊三日の宿泊をした。村上先生を中心にゼミを行ったり、ディスカッションをしたり、散策をしたりして、最初の仲間の時を過ごした。

夜にはお酒なども出た(当時のことですので、ご勘弁を)。私たち男子は、そして初めてたしなんでみたという女子も、みんな顔を真っ赤にしてはしゃいだが、特にいい調子になっていたのは実は村上先生であった。

夕食の宴が終わり、男女の部屋に分かれた。男同士であれこれといろんな話になり、恋愛の話にも及んだ。上手くいっている一部(というか一人)の人間を除いては、失恋の話などが飛び交い、男同士の恋バナが盛り上がっていた時、がらっと勢いよく村上先生が乱入してきた。

どこかで我々の話を聞いていたのか、先生の思うところの恋愛の定義を語りだした。さすが教育現場で生徒たちに説教してきただけあって、説得力がある。そして文学作品などにおける失恋の場面について、様々な鑑賞を語りだした。

やがて乱入してきても持ってきているいつもの黒カバンから、なぜだか穴を開けたりする大工道具の錐が出てきた(どうしてなのか)。それを取り出し、畳に投げてグサッと刺した。おおっとみんなでそれを見つめると、失恋とはこれぐらい痛いものなのだと言葉を投げ捨てて、去って行った。

錐だけが、その場に残った。

大学三年の頃だ。

私は詩を書くことに夢中になり始めて、毎日のように詩を書いては、学内でコピーをして友人に配っていた。演劇のサークル活動にも没頭していた。詩と演劇に夢中になっている私を見て、六〇年代にはそういう学生がいっぱいいたなあと仲の良い先生にからかわわれたりした。そのために勉強がおろそかになってしまっていた私は、村上研究室へと呼ばれてしまった。

「きみは地に足がついていない」とはっきりと言われた。そして、「詩を書いている」というのだが、「地に足のついていない人間の書く詩を誰が読むと思うのか」と厳しい口調で
言われてしまった。事実その時は、大事な授業の単位をいくつか落としてしまいそうになっていた。こんこんと先生は話しをしてくれた。

私は先生の話しぶりに、なんだか途中から泣けてしまったのである。今でもその時の気持ちを思い出して、目頭が熱くなるのだが、自分が情けないのと、だけど特に詩を書くことの情熱だけはどうしても冷ますことが出来ないことと、教師を目指してこつこつと勉強している周囲の仲間から浮いている感じがあること、将来が見えないことなど…。

特に詩作へとかける気持ちは異常なほどであり、すぐに詩について語るものだから、仲のいい友達や後輩などからもなんとなく線を引かれてしまっている感じがあった。しかし夜も眠れないほど、詩に恋をしてしまったのだ。「今の和合の詩なんか、私は読みたくない」とはっきりと言われてしまい、また泣いた。そしてその後、どうなったのか。

あの黒いカバンから、コンビニのサンドイッチが出てきた。そして何も言わず、ハムサンドを私にくれた。先生はトマトと卵のどれにしようかとを悩み、卵を食べて、私にトマトもくれた。私はそれも一口で食べた。

卒業後に三年が経って、福島県の文学賞に応募した私の作品が賞をいただくことになった。高校教師になってからもずっと詩を書き続けていた。挑戦してみたところ、認めていただいた。地元の新聞に発表がなされた時、このことについて先生はいち早く連絡を下さり、自分のことのように大喜びしてくれた。

しばらく経ってから、お祝い会を開いて下さった。福島駅前で待ち合わせをした。大分早くから先生は待っていてくれた。握手を交わした。久しぶりに会ったクラスの仲間たちとも。そして会場へと向かう途中に、何気なく先生は何かを探してあの黒いカバンを開いた。私は隣を歩いていて、はっきりとそのカバンの中に、私のインタビュー記事が載っている新聞を見つけた。ずいぶん時間が経ったのに、カバンの中に持ち歩いていてくれているんだな、と分かった。

魯迅には好きな作品がいくつもある。特に「故郷/阿Q正伝」の中の「藤野先生」という短編が好きだ。これは授業でも、何度か教えたことがあり、力が入る。

医学を志して仙台に留学していた魯迅を、叱咤激励してくれた藤野先生との交流が描かれている。やがて日本人学生からの嫌がらせなどが続き、勉強を半ばにして帰国する彼に、藤野先生は一枚の自分の顔写真を渡す。

魯迅はその後は作家への道を歩むのだが、その肖像をいつも壁に貼り、辛いときにその顔を眺めて、ハッと良心を取り戻しては机へと向かう。

この場面がとても好きだ。これは私にとっての村上先生だ。

先生の訃報を受けたのは大学を卒業して十数年後のことになる。私は事情があり、翌日の告別式に参列出来なかったので、お通夜にお伺いした。クラスメイトは恐らく明日に集まることになっていたので、本日は私一人だけの参列となった。

息子さんのご挨拶によると、先生は最後の月日に喉を悪くしてしまい、うまく話をすることが出来なくてもどかしいご様子だったとお話しをされていた。法要が終わり会食となりり、隣の会場へ全員が移り、誰も居なくなった。私は先生に挨拶をしようと思い、棺に向かった。先生はとても静かなお顔をしていた。あんなに人を愛して、元気に喋るのが何より好きだったのに。まずそのことが最初に思い浮かんだ。涙が止まらなくて、わんわんと泣いた。肩を叩かれた。会場の方かと思ってはっとした。遠くからかけつけたクラスメイトだった。