「武士道シックスティーン」 誉田哲也

心を強くするために欠かせない存在は、ライバルではないだろうか。例えば好敵手として思い浮かぶ顔が私にはある。私は朝早く起きて執筆の仕事をしているのだが、実はこのライフスタイルは高校時代の同級生のHに挑発された時から、ずっと続いているのだ。私と彼は高校二年生の春に、ほぼ同時に部活動を止めた。私は剣道部で彼は野球部だった。私のほうはあまり大したことのない理由だったが、ピッチャーとして中学時代から活躍をして周りから期待を受けていた有名人の彼が野球を辞めることになったのは、私たちの間では驚きだった。

ヒジのケガが原因だった。私とは席が近かったのだが、辞めた者同士で良く話をするようになった。子どもの頃から今まで野球にのめりこんでいた彼は、どう過ごしていいいのか分からなかったのだろう。私とは比べものにならないぐらいに、落胆していたはずである。部活を止めた者同士で、彼と放課後にだらだらと過ごした。「人生ゲーム」を家から持ってきて、放課後にやっていたことを思い出す。

私はやることがないのを持て余していたが、彼はそのことについて心底に焦っている様子だった。子どもの頃から暇さえあればグランドでボールを追いかけてきたから、もはや何をしていいのか彼は分からなくなって、すっかりと困り果てているのが分かった。なんとなく可哀想になった。本当は野球を続けたいはずだ。それしか自分を賭ける方法を知らないのだ。私と他愛なく時間を過ごしながら周囲の失望と静かに戦っているかに見えた。

しかし突然に彼は変わりだした。私にライバル宣言をしてきたのだ。同じぐらいの下降気味の成績であった私に対して、これからは次の試験でどちらが勝つか、勝負を挑んできたのだ。私はずっと無気力のままだったので、きっぱりと初めから勝ちを譲った。しかし彼はあきらめずに執拗に私に迫り続けた。私は彼の勢いに形だけ合わせていた。やがて試験の結果は散々であった。彼は百番も成績の席次をあげた。すると彼は私にどんな勉強をしたのかと厳しく問い詰めた。

真剣な挑発を受け流していたことを知ると、彼は腹を立てた。そしてお前はずっと駄目な奴だ、ずっとこのままタラタラと生きていけばいいんだとなじった。俺にここまで言われて悔しくないのかと攻め込んできた。私も怒りを覚えて、もう俺には構うなと言った。すると彼はきっぱりと私に言ったのだ。「当たり前のことをして何かが得られると思ったら大間違いだ」。「俺は帰宅してすぐ眠って、夜中に起き出して、朝まで勉強している」。

「和合もそうしろ」。

なんで俺がお前の真似をしなくちゃならないんだ。「ライバルだからだ」。この展開に当時の私はくらくらとした。はっきりと断ったのだが、彼はそれでも夜中に電話をかけてきたり、さらなる挑発的なことを言ったり、ジュースやアイスをおごってくたれりもした。なんでHみたいに、今までみんなからずっと一目置かれてきた人間の新しい好敵手が、自分なのかが良く分からなかった。「特に朝の時間は凄い。何かが変わる」。

彼の一言が心に残り続けた。彼と比べるとエンジンがかかるのは大分遅かったが、朝に起きて勉強するということをやり出すようになった。朝の四時半ちょうどに家族が起きるから…とワンコールで電話に出ようと約束して、電話をかけあって笑いを必死でこらえたことがあった。テストの結果で出ると真っ先にお互いに見せ合う。本当にHを倒したくて、私は朝の机に向かった。やがて同じ大学に進んだ。彼は経済学部。私は教育学部。

「武士道シックスティーン」。剣道にのめりこむ二人の女子の姿が描かれている。宮本武蔵を尊敬してあくまでも勝負にこだわる磯山香織と、第一に剣道を楽しみたい「お気楽不動心」の西荻早苗。

磯山香織は全国中学剣道大会で、準優勝の腕前を持つ実力者である。兵法を心の支えとしていつも剣の道のことだけを考えている。愛読書は「五輪書」。昼休みは鉄アレイを片手に、何度もそれを読み返している。剣道をスポーツと思わずに斬り合いとみなしている。竹刀を打ち合うのではなく、斬る・斬られるの真剣勝負の感覚で、常に稽古に励んでいる。逆に女子らしいことは一度もしたことがない。

西荻はどこにでもいる普通の生徒なのであるが、もともと幼い頃から日本舞踊を習っていて、それを家庭の経済事情から止めることとなり、その代わりに軽い気持ちで中学から剣道を始める。しかし舞踊の足捌きが剣道の試合で功を奏して、不思議な強さを見せるようになる。西萩にある小さな大会で敗北してから、強く西萩を意識するようになる。

「もしかしたらあたしは、心のどこかで、西荻を恐れているのかもしれない。得体が知れないから。強さの理由がわからないから。あたしが今まで見たことのない剣道をする奴だから。ひょっとしたらあたしが培った剣道を、根底から覆すような何かを、奴は持っているのかもしれない」などと磯山は認めながらも、自分ほど剣の道に本気になれない西荻をいつも挑発する。

「もっと、勝つことに拘れ」といつも磯山は西荻に迫るのだが、西荻はそのはっきりとした考えについていけない。磯山に自分の剣道を「チャンバラダンス」などど馬鹿にされると、本気で怒ったりする。しかしやがて、磯山は勝ち負けにこだわってきた自分の考え方に深く疑問を持つようにになり、一時的であるが剣道部を休部する。今度は西荻が磯山を部活に戻そうと必死になる。正反対の二人は、ぶつかり合いながらも互いを支えていく。香織は頑なな心を開き、香織だけではなく部活動の仲間との絆を感じるようになり、自分なりの新しい「武士道」を探し始める。

うむ、〈青春〉とは、正につばぜり合いである。こんなふうに仲間と肩を抱き合ったり、ライバルと対決したりしながら〈道〉を見つけてほしいと読み終えて思う。

私は先に話した通り、結局のところ六年間続けていた剣道部をあっさりと止めてしまった。何だか、負けてしまったような気持ちになって、ぼうっと日々を過ごしていた。だけど黙々と、帰宅してからジョギングをしていた。止めるという選択をしたのだけれど、そうしてみたところ、なんだかみじめで悔しかったのだと思う。Hも同じだったのかもしれない。だから私に全力で、勝負を挑んできたのかもしれなかった。