和合亮一

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雪が降ると家が恋しい

 街で先日、成人式があった。そういえば自分の成人式が終わってしばらくしてから、詩集を一冊でも出してみようと心に決めた瞬間が私にはあった。あれこれと懐かしく思い浮かべていると、矢沢宰という詩人のアンソロジー「矢沢宰詩集-光る砂漠」と出会う。病苦と闘いながら、たった二十一年の生涯のうちにたくさんの詩を残している。没後五十年になる。十四歳の十月から詩作をし、五百篇余の詩を遺して世を去ったという。
 人生の時間の多くを病院で過ごしている。

雪が降ると家が恋しい。
雪が降ると楽しくなってくる。
雪は人間の心を埋もれさす。
雪は元気と勇気をあたえる。
雪が降ると今年も行ってしまうかと思う。
雪が降ると遠い昔を思い出す。

新年の街の空に舞う雪のかけらを眺めながら、この詩をふと呟いてみる。大いなる自然からのメッセージのようなものと言葉はなくとも対話しようとしている詩人の姿が浮かんできた。
 宇宙や時の意味と懸命に向き合っている真摯な姿がある。

僕も「宇宙」や宇宙と同じ大きさの
「時」といっしょに
いつまでも生きていたいけど
僕は確かになくなる。
僕は無くなってどうなるのか?
僕は無くなって本当になくなるのか?
それとも
僕は無くなるけど
僕の中の僕がまた生きるのか。

生きていきたいという変わらぬ願いと死が迫っていることへの焦りが、その隣に感じられる。
 「無」への静かな恐怖と達観。若々しく問う姿に深い哀切感がある。病苦の中で、詩人という存在そのもの、あるいは自分そのものを、大いなる存在へと問いかける。読み進めているうちに、生きることと詩を書くこととが分明されない重なりを見せつつ、そのまま自らの死を前にした答えのない問いかけそのものになっているように思えてくる。詩と短くも若い生に衝き動かされている筆の運びに目頭が熱くなる。この詩人の青春がある。
 
電気はつけないことにしよう
窓は開けておくことにして
春の夜の清く甘ずっぱいような香りを
部屋の中いっぱいにしよう
そして俺は
静かに神様とお話をしよう

厳しい冬を抜けて、めぐる季節への憧れが伝わる。芽ぐむ春の情感を「香り」の中に感覚してただ静かに嗅いでいる春の夜。新鮮な季節に素の顔で向き合っている感じが、とても穏やかである。このような言葉の無い優しい対話に、春の訪れを早くも恋しく感じた。

 岩坂恵子の詩にも〈対話〉を見た。

わたしのほかにだれもいない林のなかで、静まりかえったそのなかで、ときおりぽとっ、ぽとっと音が響く。見上げれば、幾本もの大きなトチノキ、数えきれないほどのクヌギやコナラ。季節になったので、それらが熟した実を落としているのだ。
果たしてわたし自身に、自らの重みで落ちてくるような稔りはあったか。

こちらは去っていった季節感を呼び覚ましてくれた。去年今年。冬が深まる。 

 (初出「毎日新聞」詩の時評「詩の橋を渡って」2017年 1月)
*現在も「毎日新聞」にて時評連載中です

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2018.01.22更新