野蛮な夏の空に

 詩の朗読をして二〇年ほどになる。いろんなところで朗読をしてきた。ギャラリーやカフェ、小さな本屋さんなどから最初はスタート。大きくて立派なホールや山の噴火口や島、人通りの多い街の真ん中など、色々な場所を与えていただいた。そして昨年は野外でのステージの場面もとても多かった。打ち上げ花火とのコラボレーションという形で、リーディングをしたのは初めてのことであった。

 震災後に鎮魂の想いを込めて書いた詩の朗読の背後に、「和火」という花火を打ち上げていただいたものだった。始まる前の打ち合わせで、私はこれまでいろんなコラボレーションを試みさせていただいてきたが、このような形で一緒にやらせていだくのは初めてであることを告げた。花火師のみなさんも「俺たちも初めてだ」という声が即座に返ってきた。当日の天候は雨が降ったり、止んだりが繰り返されたが、朗読の時にはすっと晴れた。

 花火師さんたちの腕前のおかげで、心を合わせて朗読をすることが出来た。空の中で巨大な太鼓がどんと鳴る。野外だから当たり前のことなのだが、風の動きがとても良く分かった気がした。花火の煙が時折にステージにある私の体を追い越していくと、そのずっと先に震災で亡くなった方々のたくさんの魂が集まっている気がした。はっと目を凝らすと、聞いてくださっている数万人のお客さんのまなざし…。

 川、河川敷、たくさんの人々、そして花火、音…。これら会場の風景と一つになりたいとなぜだか思った。どうしてなのか。声を発しながら、もう一つの頭で、そのようなことを願っていた。間をあけずに野外のステージへ。昨年から毎年、8月15日に「プロジェクトFUKUSHIMA」というイベントを行っている(本年は26日まで各所で開催される)。福島の大きな野原の上に設けられた野外ステージで、私は大友良英さん、坂本龍一さんとコラボレーションという形で「詩の礫」を朗読させていただいた。

 私はどちらかというと晴れ男だと思っているが、大友さんは雨男だとみんなに告白していた。特設ステージの空もやはり不安定な夏の空で、強く降ったり、止んだりが繰り返された。1時間ほどのステージだったが、その間は幸いにも雨の玉粒は落ちてはこなかった。ただ灼熱の空を折れ曲がるようにして筋骨隆々の雲が、折れ曲がるようにして、怒り狂うようにしてそびえ立っていた。わずかな狂気すら感じられて、そら恐ろしくすらあるようだった。

 私はたくさんの聴衆と向かい合って朗読をしているはずなのに、なぜだかその雲の姿をはっきりと分かりたかった。空の異常なたたずまいをすぐ隣に持って来たい気がした。そしてこのような福島の空を、特別に美しいと思った。私は目の前のパフォーマンスにとにかく精力を注いでいるはずなのに、何故なのか、夏空の厳格な顔をよく知りたいのだった。この気持とは何なのだろうか。

 思い出していた。能楽師の津村禮次郎さんが「かぐや姫」をお寺の境内で披露する前に、私がいわゆる「狂言回し」の役目を務めたことがある。能楽の前に詩の朗読をすることとなった。私の所要時間は十数分。私の出番。この時に突然に大粒が降る。にぎやかに転がる水の玉。開け放しの寺の境内の畳の上から、けたたましく弾ける庭のそれらが見えた。

 私はこれから舞われていく〈かぐや姫〉の姿を想像しながら、頭の中に浮かぶ淡い憧れのような影を想いながら、声にした。するとお寺の境内の庭に密生している、雨を受けている竹林の、笹の葉のそれぞれの動きを把握したい気がした。その後に津村さんの舞いが始まった。雨が、ある瞬間にざっとひけた。急に満月が空に浮かぶ。境内に月の光が投げ込まれる。

 能楽師の声と息遣いとが、天候までも変えてしまったかのようだった。終わって後に一度ソデに入り込み、お客さんに挨拶をするために客席へ。津村さんと私は境内の廊下を二人で通った。この時、後ろを歩く顔をふとうかがった。月の光に照らされた、舞いを終えてふっと力を抜いた津村さんの表情が本当にうら若い女性に…、「かぐや姫」に見えたのだった。

 津村さんは雨風と天地と月と一緒になり終えて今、力を少し抜いていらっしゃるのかもしれない…。挨拶が終わっての打ち上げの席で、津村さんに「一番良く、舞うことが出来ているとご自身で自覚している瞬間とはどのような時ですか?」とおうかがいしてみた。すると津村さんは「舞いながら自分がここに存在していることを忘れてしまっている時ですね」と即答が返ってきた。

 それからだ。私はずっと、私なりにそのような忘我の時を探し続けてきたのだ。大友さんと坂本さんとの野外ステージを一時間、やり終えた。するとまた何度か、大粒の雨がやって来た。それにずぶ濡れになりながら、なんだか上手く前に歩くことが出来ないほどに、くたびれていることを自覚した。だが、一時間ぐらいの朗読のステージならいつもやっていることだ。しかし体がおかしくなったみたいだ。私に遠藤ミチロウさんが一言。「野外は普段の三倍の力を使うよ」。   

 演奏が続く、野外フェスティバルの客席で夏の雨にずっと打たれながら、こんなことも思った。「時々、助けてくれるように雨が降るよなあ」。原稿の続きを考えていて、先が続かなくなった時などに雷が鳴り、雨が滝のように落ちてきて、頭の芯が激しく冷たく打たれたような気がして、また書き出したことが何度もあった。ひょっとすると私のほうが雨男なのかもしれない。

 こうしてただずぶ濡れになっていると、野蛮な夏の空と一緒になれた気がしてくる。

(書き下ろし)

*今年も「フェスティバルFUKUSHIMA!」を開催します…。

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