〈追悼〉谷川俊太郎さん
寄 稿
夜明け前に
20歳で詩集「二十億光年の孤独」(1952年)を出し、詩の世界へデビューを果たしてから、92歳まで詩を書き続けた谷川俊太郎さんがこの世を去った。60冊を超える詩集を作った。詩人として出発した50年代から現代まで、戦後から現在までの激動の時を見詰め続けてきたその仕事は、多彩で豊かで驚くほどに膨大であった。「宇宙はどんどん膨らんでゆく」という、その詩のフレーズが示すかのように多大なる何かを私たちに残した。
教科書に詩が多数掲載されたり、全国の校歌や合唱曲の作詞、誰もが知る「鉄腕アトム」の主題歌の作詞などを手掛けたりして「国民的詩人」と称され、親しまれた。優しい、分かりやすいという印象が一般には持たれたが、劇作家の寺山修司や現代音楽家の武満徹らとの交流も深く、実験精神に富んだ作品も数多い。活動の多面性からも全体のボリュームの大きさからも、改めて彼の仕事を宇宙に例える他ないところなのかもしれない。
私が詩を書き始めた頃に衝撃を受けたのは「世間知ラズ」(93年)という詩集であった。これまで親しんできた詩の運びと同じ印象ながら、全く違う味わいを受けた。還暦を迎えた時に作られた詩集であったが、不惑そして天命を知る年代を過ぎて、自分へと向けられた視線の厳しさが伝わってきた。「私はただかっこいい言葉の蝶々を追っかけただけの/世間知らずの子ども」と書いた。こんなふうに締めくくっている。「詩は/滑稽だ」。
客観的なまなざしを自分自身へ向けながら、新しく息を吹き返そうとしている印象も覚えた。それがはっきりとした形で伝わってきたのは、その後に出された「minimal」(2002年)という詩集である。「夜明け前に/詩が/来た/むさくるしい/言葉を/まとって」。ここから再び旺盛な詩作が始まっていく。新しい時代の情報の饒舌(じょうぜつ)さと騒音に抗するように短い言葉で作られた、そぎ落された詩の空間にすごみと慈愛が深く感じられた。
生前最後の発表作品は「感謝の念だけは残る」で締めくくられている。たどり着いた境地だろうか。大きな背中を失ってしまった。寂しさとともに、残された宇宙を前に、真空に吹き始めた息を聞き取ろうとする心の膨らみを感じたい