〈追悼〉谷川俊太郎さん

寄 稿

言葉の銀河に

 谷川俊太郎が旅立った。新聞やテレビなど一斉に報道がなされてすぐに、SNS上では谷川への思いをつづる投稿が数多く寄せられた。さながら追悼集会が開かれているような状況が数日に渡り続いたのである。詩人との別れは親愛を込めて大きく広がった。
 「宇宙はどんどん膨らんでゆく/それゆえわたしたちは孤独である」。詩集「二〇億光年の孤独」により二〇歳で登場したのは、戦後まもなくのことであった。戦争の意味を問う詩を書き続けた田村隆一ら「荒地」同人の後に、戦後の暮らしの地平をまなざすようにして、谷川や茨木のり子や吉野弘ら「櫂」の同人たちが登場した。それぞれが社会と向き合いながら現代を描き続けた。分かりやすく、親しみやすい印象で受け入れられていった。
 特に谷川は、あたかも冬の夜空の天体を見渡すかのようにして、人々の生活を俯瞰して見つめ語りつづけた。人や暮らしと距離を測るようにしながら客観的に書く姿勢が一貫したからこそ、数多くの多彩で豊かな作品が生まれたのだろうと感ずる。六〇冊を超える詩集を総じて語るのは難しい。あたかも書物による宇宙にたとえられるだろう。それを残して谷川はこの世を去っていったのだ。澄み渡る冬の始まりの空に星座を探してみたい。
 一九七五年にほぼ同時に刊行された、親しい他者への語りかけや即興風の言語実験の作品が収められた「夜中に僕は台所できみに話しかけたかった」(青土社)と、独白の形式で饒舌に鋭利に語り続けていく「定義」(思潮社)という二冊の詩集は、言わば対話と独白として趣きは全く異なるが、詩の新しい可能性を切り開く息吹きとエネルギーに満ちている。武満徹や小田実、金関寿夫などに宛てられた詩などから交友の広さと深さを知る。 還暦を迎えた時に刊行された詩集「世間知ラズ」(一九九三)では「行分けだけをたよりに書きつづけて四十年」「私はただかっこいい言葉の蝶々を追いかけただけの/世間知らずの子ども」と書き読者を驚かせた。これは青年の頃に書いた名高い「鳥羽Ⅰ」という詩で「本当の事を云おうか/詩人のふりはしているが/私は詩人ではない」と記した詩行から一貫している鋭い自己批評の姿であったと言えるだろう。その十年後の詩集「minimal」(思潮社・二〇〇二)や、最近の詩集「虚空へ」(新潮社・二〇二一)における削ぎ落された短詩の凄みと深みからも、変わらない詩と自分への批評精神が詩行と余白から伝わる。
 絵本制作や児童詩の創作にも力を入れた。とどまらない活動について、かつて対談した機会にたずねたことがある。「感性は年輪のようなもの」と語っていた。人間の感性というものは地層のように経験と共に積み重なっているというイメージを持つかもしれないが、実は時を刻む年輪のように横並びに広がりながら重なっている、と。だからすぐに幼い子どもや少年や、青年や中年に戻り、言葉をつむぐことができると教えてくれた。
 ある時は小さな箱の中に美しい細工物をこしらえているような職人のような気持ちで書いている、と熱心に話した。それが誰かに渡り、それがまた伝わり、やがて静かに広がっていく。箱に込められるのは小さな力でしかないけれど、それを小さく渡すことなら出来ると語った。その答は、SNS上での谷川さんへの、老若男女の人々からの膨大なメッセージに代わっていったような気がする。タイムラインに流れた。言葉の銀河のようだった。

初出「毎日新聞」

2025.04.02更新