縦書きのテスト

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和合 亮一(わごう りょういち)


1968年福島市生まれ。国語教師。
第1詩集「AFTER」(1998)で第4回中原中也賞受賞。
第2詩集「RAINBOW」で高見順賞最終候補。
第3詩集「誕生」で現代詩花椿賞と晩翠賞最終候補。
第4詩集「地球頭脳詩篇」で第47回晩翠賞受賞(2006)。
日本経済新聞誌上等にて「若手詩人の旗頭的存在」と目される。
第5詩集「入道雲 入道雲 入道雲」
第6詩集「黄金少年」(2009)。
詩人・谷川俊太郎さんとの共著「にほんごの話」(2010)。

震災以降、地震・津波・原子力発電所事故の三重苦に見舞われた福島から、Twitterにて「詩の礫」と題した連作を発表し続ける。
アカウント(@wago2828)
海外でもフォロワーによって多言語に翻訳され、オランダの世界的コンサートホール、コンセルトヘボウにて行われた東日本大震災追悼コンサート(主催:ロイヤル・コンセルトヘボウ・オーケストラ/ジャパンフェスティバル財団)に招致、世界三大オーケストラであるロイヤル・コンセルトヘボウ・オーケストラと共演、詩の礫を朗読し、被災地が抱える思いを発信する(2011年5月)。

2011年6月、これらの作品群を、
「詩の礫」(徳間書店)=新潮ドキュメント賞および鮎川信夫賞最終候補、
「詩の黙礼」(新潮社)=萩原朔太郎賞および高見順賞 最終候補、
被災者と和合との対談と 新作詩で綴る「詩の邂逅」(朝日新聞出版)として書籍化、3冊同時出版。
これらの作品の一部は、これまで、作曲家・新実徳英氏、伊藤康英氏、上田益氏、信長貴冨氏、高嶋みどり氏の手によって合唱曲や歌曲として完成、また、女優・吉永小百合氏により国内外で朗読されるなど、世に広く送り出され始めている。

2011年5月には、ギタリストで世界的に活動する音楽プロデューサーの大友良英氏、元スターリンの遠藤ミチロウ氏とともにPROJECT FUKUSHIMA!を立ち上げ、終戦記念日でもある8月15日、福島の今を見つめ、世界に発信する世界同時多発イベントを開催。
坂本龍一氏のピアノ、大友良英氏のギターと共演・「詩の礫」を朗読。
イベントは1万3千人の来場者をあつめ、インターネットでは世界25万人の視聴を記録した。

ドイツの作曲家シュテファン・ハーラップ氏、フランスの写真家ティエリ・ジラール氏とともに、それぞれ震災にまつわる作品の共同制作を進行。

2011年12月、佐渡裕氏指揮の「サントリー 1万人の第九」冒頭では、南三陸町の防災庁舎前から作品「高台へ」(『詩ノ黙礼』より)を朗読、追悼の想いを捧げる。

震災から1年の2012年春、福島の25人に和合が一人一人の震災からの現実や想いを聴きとったインタビュー集「ふるさとをあきらめない:フクシマ25人の証言」(新潮社)、弔い・慰藉・祈り・希望・鎮魂と再起を願う詩篇と、甚大な被害をこうむった南三陸町在住の写真家が撮った美しいふるさとの写真とのコラボレーションによる写真詩集「私とあなた、ここに生まれて」(明石書店)、ジャーナリスト佐野眞一氏との対談集「言葉に何ができるのか~3.11を越えて」(徳間書店)、震災からの1年を詩とエッセイで綴る魂の記録「ふたたびの春に―震災ノート」(祥伝社)、の4冊を刊行。

2012年3月発行の河北新報3.11大震災復興企画 詩・楽曲集「ありがとうの詩」では、東日本大震災直後から宮城県に寄せられた支援に感謝の気持ちを伝えようと公募された「ありがとう」をテーマとした50作品を審査している。
日本マンガのアメリカ市場を開拓したTOKYOPOP社の創立者であるスチュウ・リービー氏が、東日本大震災の直後から被災者支援ボランティアをしながら撮影したドキュメンタリー映画『PRAY FOR JAPAN ~心を一つに~』に作品を提供、俳優 鈴木京香氏が朗読。この映画は全米16都市で公開、日本でも、震災から一年の区切として、ワールドプレミアイベント上映会などが行われた。

EUジャパンフェスト日欧現代詩フェスティバルin東京(2005)に日本代表の一員として出演。
中国青海省国際詩祭(2007)に日本代表詩人として招致。
韓国語訳詩集日本代表アンソロジー(2002)、日中現代詩プログラム中国語訳日本代表アンソロジー(セゾン財団2003)に作品収録。
共同通信で詩の時評を連載。(2004)
読売新聞文化欄で詩の時評を連載(2009~2010)。
日本経済新聞でエッセイを連載(2009)。

詩のみならず、評論・書評・コラム・校歌や記念賛歌、合唱曲の作詞も手がける。
(福島県立明星高等学校校歌/品川区立小中一貫校八潮学園校歌/箱根町立箱根中学校校歌/喜多方市立桐桜高等学校校歌/伊達市立国見小学校校歌/うつくしま未来博閉会式記念賛歌/福島市市制施行100周年記念賛歌/福島県立医科大学学生歌・・・等)
全国で講演・パフォーマンス・ワークショップ等多数。

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「詩の礫~和合亮一のアクションポエジー 」




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      いつも通りに朝早く目覚めて、支度をしようと飛び起きる。ああ今日は休みなのだと気づく。久しぶりの自由だ。春眠暁を覚えず。
      これほど贅沢なものはない。ゴロリ。しかし寝て過ごすのも勿体ない。朝の四時半。
      実はかなり前から今日を待っていた。あれこれと考えていた予定が浮かぶ。庭に出てみるとまだ気温は低いが、やはり春暖の気配。
      縁側に座り、何からしようかと考えているうちに、早くも小一時間が経ってしまった。
      夜明け前のひんやりとした空の下を近所の自動販売機へ。コーヒーを買おうと試みる。
      小さな鳥の声に誘われてゆっくりと歩き、わざと一本を買い求めたり、誰もいない踏切りを渡り、振り向いて線路の先を眺めたり。
      さらに小一時間ほど過ぎていることに気づく。大丈夫かな、私は。帰りはいつも通らない道を行く。静かな家々の前を過ぎていく。
      がらりと玄関の扉が開く。大きめの野球帽を被った少年が弾き出るように飛び出してきた。すぐにお母さんも。目が覚めたようになって、おはようございますと挨拶。笑顔。
      再び庭に立った。二階を見あげる。今月の初め。演劇の勉強をしに東京へと引っ越した息子の部屋がある。がらんとした春だ。


     別れ方がどうしても苦手である。握手などをしてきちんと別れて歩いても、大体は振り向く。相手の方もそれに気づいて振り返る。
     すかさず、お辞儀をする。すると相手の方も。ここで本当にお別れとなる。と思いきや、また振り向いてみる。そして相手の方も。
     しかし主に都会の方に多い傾向にあるのだが、背中へと向けた私の執拗な視線をさっそうとかわして、あっさりと行ってしまう。行きかう人の流れで生きる術を知っている。切り替えが早い。これが本当だ。一度、お別れしているのだから。
     しかし、このしつこい私の視線に気づいてほしいとも思う。例えば遠くまで離れて、私のテレパシーに気づいてこちらをふり向いた時、私たちは大きく手を振り合うことになる。今生の別れでもあるまいに。だけどここに、互いの親しさがにじみ出る瞬間がある。
     東京駅の東北新幹線の改札口で時間があった。私は観察をしてみた。みな別れ方が上手いのだ。三人の親子。娘はここに、父と母は東北へと帰る様子。
     改札を抜けて三人は手を振り合う。姿が人混みに紛れても。両親はエスカレーターに乗り、ホームへ。二人の姿が見えなくなった。手が残った。やはり、こうだよなあ。うん。

     


      井上荒野「ハニーズ」「静子の日常」

     二十歳の時だ。作家井上光晴氏と初めて出会って、文学への姿勢に衝撃を受けた。井上氏の山形で開かれた創作講座(「山形文学伝習所」)へと出かけて、そのままその道を進もうと思い立って今に続いているのだから、この機会に感謝しなくてはならない。しかし実は一度しかお会いしていないのである。井上氏はこの時すでに、癌を患っていて、生い先が短いことを宣言していた。
     残りの時間を、全て小説を書くことに専念すると宣言して、この講座はやがて閉じられてしまう。だからその後、お会いすることは出来なかった。それから詩や文学に没頭していく中でいつも井上氏の後姿を追いかけている。一度しかお会いしていないが私にとって彼は紛れのない先生であり、私は自分のことを数多くいた中の弟子の一人だと自負してきた。
     娘さんである、作家の荒野さんとお会いする場を初めていただいた時に、先生の面影を強く感じて、またお会い出来たのだと直感して、目頭が熱くなったことを思い出す。
     父との幼い時の思い出を、荒野さんからうかがったことがあった。作ってみた話を彼に聞かせると、誰もが考えつくようなラストは駄目だと、よく厳しくなじられたそうだ。それから荒野さんの作品を良く読むようになった。いつも魅せられてしまうストーリーの閉じ方の妙味は、そんな幼い頃からの鍛錬によるものだろうか。
     語りはいたずらに甘くない、苦くない、結末まで分からない。
     私たちは空気の変わり目と向き合って、人の間で暮らしている。その〈目〉で、少しの具合で〈空気〉は生きも死にもする。そこへの敏感なまなざしを光晴氏は幼い娘さんら語ったのではあるまいか。それを長編よりも短編に感じる。どこか光晴氏の姿を探すようにして荒野さんの作品を読みふけっていることが多い。
     一つ一つがオシャレな小箱のような、軽快なステップの物語の途中で、しかしこの作家はそれを決して逃さない。見過ごしてしまう人物の心の琴線を、カジュアルな筆運びに見え隠れさせながら、むしろ読み手にたぐらせていこうとしているかのようだ。そんな印象を井上荒野の二冊の短編集「ハニーズ」と「静子の日常」からいつも受け取っている。 
     例えば最後の佳品が表題作を思わせる、「ハニーズ」。不倫相手の子どもを身ごもったり、夫の浮気を知り離婚を決意したり…。学生時代からの女友達四人組は、年を重ねてきてそれぞれに何かを背負っている。
     定期的に集まる夕食のテーブルで、お腹の子のいきさつを深刻に打ち明けようとするが、すぐに止めて、笑い話へと〈空気〉を変えてしまう。「事実は言わない。でも、本当のことは言える」。事実と本当は別。〈言わないこと〉を胸に置いて生きていく。そう決めた彼女を、女たちはこれからも守っていくだろうと感じる。
     「ダッチオーブン」や同性愛の異色の話「きっとね」などにも、〈目〉をつかもうとする手さばきは見受けられる。最後の「これから自分が一生吐き通すことになる、長い嘘のことを思った」(「ダッチオーブン」)という一文。
     絶対の〈嘘〉がこれからの二人の間に横たわるからこそ、むしろ〈本当〉の気持ちのやりとりが生まれる。この作家の手の中には、夫や恋人への絶望や嫉妬などという底の深いやりきれなさを、違う出口へとさっと向けてしまうチャンネルがある。
     九つの短編はみな、むしろ大人の甘味と苦味とが呼び合っていると言えるだろうか。そして終わりに近づくと窓を開けて風を入れて、鮮やかに閉じてしまう。物語の入り口と抜け口はさらに、別々の出入口と向かい合っていくかのようである。
     様々な視線は生きることの扉を探り出して、しなやかに〈風〉を追い掛けている。楽しく読み終わると思うのだ。目の前の〈空気〉が少し、変わっている。私たちも次のエントランスへ行こう…、と。
     「静子の日常」という短編集はもっと短い作品が並んでいる。
    何かが始まりそうなので、気の離せない家族の姿がある。主人公の75歳の静子、息子の愛一郎、嫁の薫子、孫のるかが、かわりばんこに登場する。
     小説の話しごとに語り手が変わるのがユニークだ。静子と家族の目線が、色んなメガネのようになって渡されて全体で、宇陀川家の〈日常〉を見つめさせてくれる。家族とは屋根の下で同じ空気をこんなふうに共有しているものだ、と納得させられて面白い。
     夫を亡くし、この家にみなと同居しはじめてからの静子の日々が綴られている。淋しさはあまり見せない。フィットネスクラブに通ったり、あちらこちらに出掛けていったりする。どこへ行っているのかと尋ねられ、静子はこう述べる。
     「行ったことのないところに、行ってみてるのよ」。小さなイヤガラセと闘おうとしたり、河原で若者と酒を酌み交わしたり、愛一郎の不倫に強い釘を刺したり…。天使か悪魔か老人か。活躍ぶりが楽しい。
     愛一郎は愛嬌のある人物だが浮ついた気持ちをいつも持っている。薫子は魅力ある活動的な女性である。るかは年上の彼との恋を実らせようと懸命。静子はずっと慕っていた男性に会いに出掛けていく。
     しかし新しく事件が起こりそうで、そうならない。作者はやはり大きな波をわざと立てないで人間模様を細かく描き続けている。
     それが淡々とした〈日常〉へと私たちの心を戻して、足し引きのない生活へのまなざしをもたらしてくれる。
     静子が失恋をして涙ながらに呟く場面が印象的だ。
     「人は成長するし、いやおうなく変わっていく。でも、変わらない部分もある。本当に悲しいのはそのことなんだわ」。そして鮮やかな恋慕の情が残る。
     巣へと帰ろう。それぞれに想いを抱えて違う時間を過ごしているけれど茶の間では、肩を寄せ合って共に同じ呼吸をして生きている。
     〈家族〉とは考えるほど不思議なチームなのかもしれない。
     読み終えてやはり本にたたえられている数多くの〈空気〉の変わり目の瞬間と、全く変わっていないものがあることの両方に気がつくだろう。そして高い木の上には変わらない温もりがあると読み終えて感じるだろう。
     変わる小さな波間よりもその反対の〈目〉こそに気持ちを注ぐ。そこに〈日常〉というもののかけがえのなさがある。私たちの心は大きくとも小さくともどのような変わり〈目〉にあったとしても、変わらない〈目〉の先に必ず翼を閉じて戻りたいのだ。
     荒野さんはあの時、ずっと変わらずに父が大好きだったと語ってくれた。そういうところに心はいつも巣戻りをするのだ。

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