言葉が防護服を着てしまった

昨年11月、東京電力福島第1原発の20㌔圏内に足を踏み入れる機会を得た。かつて暮らした福島県南相馬市、小高町、浪江町の辺りを歩いた。初めて着た防護服。手首や足首に厳重にテープを巻き、衣服の上から着る。私という人間そのものを覆われてしまった感じがした。ここに自分が存在しないような、不思議な印象に駆られた。これは震災後の私たちに与えられたもう一つの皮膚なのだ、そんな想(おも)いがかすめた。

浪江の駅まで行ってみた。本当の〈皮膚〉で私たちは、ついこの間まで、ここで暮らし、語り、笑い合っていたのに。無人の町は震災直後から時間が止まったかのようだった。運動靴が干されていたり、窓が開けっぱなしのままだったり、横倒れの自転車、家が斜めに傾いていたり…。送り迎えで賑(にぎ)わっていたはずの、ホームの静寂が恐ろしい。路地の家の軒先では柿が真っ赤だ。とてもよく熟れている。

請戸の港へ行った。ここは原発の爆発後に、すぐに立ち入り禁止の指定がなされた。岸辺に倒れた瀕死(ひんし)の方を救助することが出来なかったと聞いた。何という無念な話だろう。一時帰宅を許された方が手を合わせていく慰霊碑が近くにあると聞き、その前に立ち、祈った。海も風も鳥も、驚くほどに静かだ。すぐ近くに原発の排気筒が見える。あの下には、命がけで働いている方々が居る。何の気配もない波打ち際の時を、防護服の下で感じる。マスクのゴムの痛みに耐える。

私はかつて南相馬のアパートの前からここまでを、よく趣味のサイクリングで走った。海のきらめきを眺めるのが楽しみだった。静けさを破るようにして、水音がした。河口に魚影。シャケだ。そうだ、これは秋の終わり頃の請戸のなじみの光景である。私は涙を禁じえなかった。誰も命をおしとどめることなど出来ないのだ。魚たちは卵を産むために、川上を目指しているではないか。

ここは無人の国だ。不条理だ。浮かぶ詩句をメモする。

言葉が
防護服を着てしまった
何も
語らないために

心が
防護服を着てしまった
泣いても
分からないために

どうかこの恐ろしい静けさを、あまねく日本人に肌で感じて欲しい。しかし難しいことだ。ずっと不可能なのだ。これからも防護服という別の〈皮膚〉の内側にあるのだから、私たちの〈肌〉は。

数日後。深夜の東京・渋谷駅の入り口に立っていた。待ち人来たらず。人々の姿を眺め続けた。高層ビルと巨大なスクリーン、鳴り止まない音、車のクラクション、横断歩道を急ぐ群衆。深夜の都会の人混みは突然に、なぜだか私を無人の町の記憶へと連行していった。

眠らない夜の空に叫び出したくなった。

みなさんに知って欲しいことがあります。

誰もいなくなった町があるのです。

誰も知らない海があるのです。

誰かの訪れを待つ慰霊碑があります。

この、同じ日本に。

( 初出 時事通信配信 4月 )